プロローグ
P・Pの技師たちが、記者会見に応じる為に会場にやって来る、というニュースが流れた時、合同記者会見の会場に緊張が満ちていくのがわかった。
P・Pというのは、ピッフル・プリンセス社の略で、日本に駐留する外国人の秋葉GP取材記者の間では既に立派な公用語になっている。
「ヘイ、アリシア、やっとP・Pの連中を見れそうだな」
一ヶ月の滞在中すっかり顔なじみになったイタリア人記者から、アリシア・ベルナールはそう声をかけられ、腰のあたりを軽く平手で叩かれた。フランスの記者クラブだったら今の行為はセクハラとして問題になっていただろうな、とアリシア・ベルナールは思いながら、萌えを理解するフランス人代表として、ツンデレっぽく
「べっ、別にP・Pの事なんか気にしてないんだからね!!」と眉を吊り上げ、顔を赤らめ、さらにそっぽを向くという完璧なキャラ作りで、その若い記者に応じ、ビデオカメラの準備を続けた。どうせ、イタリア人には理解出来ないんだろうな。と思いながら。
P・Pは2009年に産声を上げた、バイオテクノロジーとメカトロニクスの、一見相反するような2つの技術を柱とした複合企業だ。
規模では及ばないものの、現在では、ソニーやトヨタにならぶ日本の有名企業の一つだ。数々の基礎研究成果とその応用で開発された製品群は世界に強烈なインパクトを与え続けているが、いまだに社長の顔すら判らない(一説によると、まだ若い女性だとか、いや、関西弁の怪しいめがねのオッサンだという話もある)厳しい情報統制で、TVや新聞の取材も全て文面による返答のみだった。実際に取材を許された記者は存在しない。又、そのミステリアスな存在がアダとなり、色々と黒い噂が絶えない。
そのP・Pの技術者が記者会見に応じるのだ、アリシアは自分を日本へ送り込んだ編集長と偶然にもP・Pへの取材が出来る幸運に感謝と興奮でキャラ作りを忘れそうなっていた。あぶない、あぶない。
話を戻そう。
現在、アリシアが居るのは、秋葉GPスタート地点、参加チームの合同記者会見会場だ。スタート地点ピットスペースの後ろに作られたていた。
秋葉GPは、ほとんどがプライベーターのチームだが、日本で許された唯一のレースだ。しかも、いまや公用語となった”MOE”の発祥地がスタート地点となる世界唯一のレースだ。企業が様々な思惑で参加することは珍しくない。
もちろん、自動車産業の雄、トヨタ、ニッサン、ホンダも表向きは不参加だが、影で特定のプライベーターへエンジンやシャーシの技術を提供して間接的に参加してるのは公然の秘密だ。
現在は、P・Pのスタッフ到着待ちだが、噂を聞きつけたメディアが多数押しかけてきており、会場に入りきれずに中央通り沿いがちょっとしたパニック状態になっている。
ビデオカメラを構え会場外へ向けると、中継用のパラボラを積んだワンボックスが縦列駐車する道路が見える。そして歩道沿いにいくつもの露天が立ち並び、露天商と見物の一般人と取材記者がもみ合っている。怒号がこだまし、それらを排除しようと機動隊がそれらを追い払うということが延々と繰り返されている。
P・Pのスタッフが表に出てくるということはそういうことなのだ。「アリシア、ヘイ、アリシア」
イタリア人記者に名前を呼ばれアリシアはその影のような存在にはじめて気づき、思わず大声を上げそうになった。
自分のすぐ横(窓際)を、肘や肩が触れ合うほどのすぐ傍を見慣れない作業服姿の男たちが次々にすり抜け前方の壇上へ駆け上がっていったのだ。まったく音がなく、気配さえ感じなかった。既に二、三人が壇上へ横に並んでいた。そして最後の一人がアリシアの左脇をすり抜け前方に走っていく。
アリシアは舌打ちした。こんな映像は使い物にならない。ピントが合ってないし、捉えた映像は手ブレがヒドく何が映ってるのか判らないだろう。
壇上に上がった技術者らしき人物は皆若い。骨格と目の輝きでそれがわかる。目はアリシアと違い細いが、沢山のフラッシュに照らされていることもあって、鋭い。にらみつけてるわけではなく、ただ静かに、普通に見てるだけなのだが、アリシアはその目に圧倒された。パリの仲間だったら、と思った。エッジが効いた目、と言うかも知れない。
だがもちろん、パリの東洋人にこんな目の持ち主はいない。エッジが効いたというよりエッジという概念を体現しているような目だ、と思った。
「始まったぞ」
イタリア人記者がそう呟いたのと同時に、マイクを手にした中央の男が前触れなく話し始めた。
「私はピッフル・プリンセスチーム代表のヤマグチだ。」
ふちの丸い眼鏡をかけている。学者のような顔ね、とアリシアは思った。学者にしてはやけに目が鋭いけど。ヤマグチは話を続ける。
「まずは、われわれの車両を見ていただこう」
壇上の後ろの幕が上がっていく。他のチームは、記者会見ではチーム監督やドライバーの紹介や質疑応答だけなのだが、P・Pについては今まで車両を見る機会がなかったのだ。この点でもP・Pは特殊なチームと言える。
幕が上がり、白い車体が現れる。そして、全体の印象から細部を確認するにしたがい、強い違和感がアリシアを襲った。
……ない……。 ドライバーが乗るであろうコックピットに相当する部分が見つからないのだ。いや、かろうじてそれらしい場所を見つけることは出来たのだが、そこは半球状の出っ張りがあるだけで人が乗り込める場所がないのだ。
そして、見つけようと努力するが無駄だということに気づいた後は、その似つかわしくないグラフィックに再び違和感を感じた。
そこには、とてもP・Pの印象と一致しない、かわいい少女が横たわった絵が描かれている。見覚えがある少女だ。思い出していると、前の席に腰掛けている日本人の記者が呟いた。
「ちょびっツ?」



アリシアは、相手は日本人記者とはいえ、少女の正体に気付くのに遅れをとったことに悔しい気持ちになった。
CLAMPの作品は全べて原作(日本語)で読破するほどのCLAMPファンだったからだ。それは、”ちぃ”、英語圏ではChiと呼ばれている少女の絵だった。
やっと頭がソッチ系に切り替わり、ちょびっツの設定や背景、他のCLAMP作品との関連がリレーショナルに引き出されていく。そして、P・P、”ピッフル・プリンセス”という名称がCLAMP作品に出てくることに気付いた。
そして、作品の中のP・Pと現実のP・Pにいくつかの共通点があることに気付いた。
これは、意味もなく”ちょびっツ”をあしらった痛車じゃないわ!
アリシアに、言いようのない喜びと同時に、強い不安感を襲う。P・Pは、なぜ、この車を作ったのか。
会場のあちこちでフラッシュが焚かれ、一見華やかな印象がありながら、アリシアは先ほどの喜びから一転、冷静になっていく。壇上にはP・Pの技術者達の冷めた視線と不自然な車体が、アリシアに強い警告を発している。
普通じゃない。
彼らを見つめていると、中の一人が車体の後ろから大型モニターを運び出してきて、壇上のテーブルに設置を始めた。会場の記者たちも期待を込めて、その行動を見つめていた。何を始めるのだろう。ヤマグチが再び話し始める。
「そろそろ、我々のチームについて話したいが、よろしいか?」会場の記者達は無言で肯定する。
「それでは、まず皆さんが一番気にしているであろう事を簡単だが説明し、本題へ移る。」
「ドライバーだがこの場に出席していない。」
「とても繊細な人物で、我々の判断で出席を見合わせた。代わりに滞在先のホテルから衛星回線を通じ、モニター越しに質疑応答に対応する。ただし、音声のみとする。」
強い意思が宿った言葉であるが、決して不快ではない声が響く。記者達は固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。
「ドライバーの詳細については後に回し、先にチーム体制について説明する。チームは我々ピッフルプリンセスが運営している。車両開発においては、ウィリアムズF1、北米マツダスピードおよびマツダに技術提供とシャーシ、エンジンの提供を受けている。」
会場の記者がどよめいている。アリシア自身も驚いていた。一般的に秋葉GPにおいて、企業は表向き不参加を貫いており、企業名を明かすことはタブーとされていたからだ。それにもまして、その企業の規模と知名度が破格である。
F1、ルマンの覇者が関係しているのである。トヨタ、ニッサンも影ながら参加しているものの、表で成績を残せていない点で彼らと肩を並べるに至らない。
記者達がざわざわとにわかに落ち着きを失いつつある。
ヤマグチは説明を続ける。
「資金面の8割は我々の関連企業8社でまかなっているが、残りをブラジルの財団が負担をしている。その財団はドライバー選定においても重要な役目を担っている。なお、団体の名称については現段階では伏せさてもらう。
いずれ公開する予定である。」
「次に車両について限定的であるが情報を提供する。まず、ドライバーの搭乗についてだが、車両前方のドーム直下になる。見ての通り外界とは完全に遮断される。視覚を含めたあらゆる情報はセンサーを通じドライバーへ投影される。」
「エンジンは、マツダの4ローターNA+モーターアシストのハイブリッドである。シャーシはウイリアムズF1による開発であり、特にアクティブサスペンションはFW15Cに搭載されていた物をベースに高度に進化させたものである。」
「3輪という変則的な構成であるが、本来の4輪からの仕様変更によるものだ。これは我々ピッフル・プリンセスが開発してる車両制御用の次世代コンピューターの能力が及ばず負荷軽減の為の措置で、ウイリアムズF1に責任はない。」
「以上が現段階で公開できるチームおよび車両の情報である。」
会場の記者団の誰もが言葉を失っている。
やりすぎだ。
公道レースの範疇ではない。90年代初頭のF1の再現を見ているようだ。技術開発の歯止めがかからず、もはやドライバー不要とまで言われ始めた頃を思い出す。これでは、本戦でかなりの制限・ハンデを負わされるのは明白だ。
そんなことをP・Pが知らない判らない、ということは有りえないので、その理由の判断がつかず、記者団を黙らせている。
会場を見回し、ヤマグチは再び説明を始める。
「それでは、ドライバーについて簡単なプロフィールを紹介する。」
「国籍、ブラジル。性別、男。過去のレース経験は無い。我々が独自の基準で選別、スカウトした。」
「年齢、氏名は公表できない。この点についてあらゆる質問を受け付けない。又、この後の質疑応答にて、ドライバーへこの点へ関連する質問をした記者は即時退場していただく。さらに、記者と関係する企業・報道機関・個人については、今後、我々ピッフル・プリンセスへの取材を一切受け付けない。例外は認めない。」
アリシアは思った。なぜ、そこまで、ドライバーのパーソナル情報にこだわるのだろう? 何か重要な点があるのは明白だ。それに、車両のちぃの絵と、ピッフルプリンセスという社名、CLAMP作品での設定との偶然の一致。
いや、偶然ではないだろう。P・Pという会社は一切の無駄を好まず、無意味な装飾、ノスタルジックな感情とは無縁の会社だ。そのP・Pがちょびっツのちぃの絵を施したのだ。何かしら意味があるに違いない。
プロローグ完
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